荒天の武学  内田 樹 光岡 英稔

★途中理屈っぽい感もあるが良い本でしたこういうの大事★

■荒天の武学 (集英社新書) [新書]内田 樹 (著), 光岡 英稔 (著)
 http://www.amazon.co.jp/gp/product/toc/4087206718/ref=dp_toc?ie=UTF8&n=465392

■内容紹介
安易に戦争を語り、怒りにまかせて闘うことが「武」なのか? 否!
思想家として著名な内田樹氏は合気道七段の武道家でもある。
不意の事態に際して最適な答えを常に求められるのが本来の武術の在り方であり、
その精神は3・11以降の危機の時代、荒天の世にこそ真価を発揮すると氏は説く。
対談相手は内田氏が敬意を寄せる武術家の光岡英稔氏(日本韓氏意拳学会会長)。
11年に渡るハワイでの武術指導歴を通じ争闘の世界を歩いてきた光岡氏と内田氏の対話は「生きること」にそった、
武道、武術という枠を超えた広がりのある内容となっている。
「きれい事では済まない状況を如何にきれいに解決できるか」
荒れた世にこそ武術の知恵は生きる!

【推薦メッセージ】
甲野善紀氏(武術研究者)
「およそ、武に関わる者にとって、見逃してはならない本は、十年に一度も出ないが、本書は、そういう本である」

名越康文氏(精神科医)
「一回性の世界を生きると意識した瞬間から、我々は誰しも武の道を歩んでいる。
本書を読むと一寸先は武の世界ということが当然の理として分かってきます」

【著者プロフィール】
内田樹(うちだ たつる)
1950年東京都生まれ。神戸女学院大学名誉教授。思想家・武道家(合気道七段)。専門はフランス現代思想、武道論等。『街場の文体論』(ミシマ社)『武道的思考』(筑摩選書)等著書多数。

光岡英稔(みつおか ひでとし)
1972年岡山県生まれ。日本韓氏意拳学会会長。多くの武道・武術を学び11年間ハワイで武術指導。共著に甲野善紀氏との『武学探究』『武学探究 巻之二』(冬弓舎)等がある。
内容(「BOOK」データベースより)
現代思想家・内田樹合気道七段の武道家でもある。その内田が注目するのが中国武術韓氏意拳の光岡英稔。光岡は十一年にわたるハワイでの武術指導歴を持ち、きれい事ではない争闘の世界を歩いてきた。本書はふたりの対話を通じ、護身、闘争という狭い枠にとどまらない、武術に秘められた荒天の時代を生きぬくための知恵を提示する。

■目次
はじめに「弱い武道家」という立ち位置から 内田 樹
・光岡師が青年期アメリカで過ごす、身体を使って思考する
・米人の共通性:規格化に対する強い抵抗、日本では逆「代替え可能、脱個性」
・普通の人はこうすると言う固定観念に囚われている
・出会いに恵まれない人自分から避けている印象、変更を拒否、執着があると新たな出会いには恵まれない
大東流松田隆智拳児、謎の拳法」、形意拳八卦掌、カリ、シラット、ハワイにて
・日本の武術にはならではの、共通言語がある(ハワイではいきなり金的も有)
ナチュラルに強いサモアン、ハワイアン(石で殴らないと効かない:笑、サメを殴る)
・シラット、ジムイングラム氏曰く、「生きる技術、★あきらめない、★運がいい」

序章 武運ということ
出会いの話/ハワイの道場ではいきなり金的を蹴ってくる/運の力

第一章 荒天を生きるための武術
非日常を経験する文化/他者、道具と感応する古の武術/ひとりを相手にする武術、一万人を扱う能力をつくる武術/
晴天型化した武道/武術家はあらゆる問題にセンシティブでなければならない
・原始時代の研究:関根秀樹 http://eco.goo.ne.jp/business/csr/ecologue/ecologue08_01.html
 首狩り族とともに生活、生々しさ「隙があったらやる」という状態の相互リスペクト
・日本特有の1対1、新撰組の3対1の有効性
・合戦では脇差、長物は巻き込む、、、短棒(カリ)
・人間の力だけでは難しいが人馬一体でできること(高く飛ぶ、など)
孟嘗君(戦国四君)、鶏鳴狗盗(1芸、特殊能力)
・競技化と神格化、神話化、信仰化(俺はできないけど先生はすごい:笑まさしく!平和な社会)
・どう生きていくかで武が役に立つように考える(あらゆる問題にセンシティブ)
・あらゆる状況に生き残る智恵と能力を磨く愉快に、気分良く生き続けるための向上

第二章 荒天型武術の学び方
生きている力が萎えるようなものから遠ざかりたい/脳が影響している身体が鈍感/技に名前はない/認識と現実のずれをどう埋めるか/
主体的な受け身とは何か/原発事故と晴天型モデル信仰/晴天型モデルを信じない若者たち/伝統文化を見直し始めた中国/
中国人の思考、表現の特徴/武道のカウンターパートとしての哲学/実力はごまかせない/ハワイ先住民の学び方/
受信する力、能楽の学び/ローカリティを超えて学ぶこと
・楽しむために敵を無化、敵自体も楽しむ、自分のパフォーマンスを上げるための資源
・人間は本当に言葉で生きているが、身体を通じたものしか残らない(骨身にしみる)
・後取りや呼吸法など、自分自身に入っていき、他人を近く意識・コントロールする稽古
・武術としての本質は一瞬で崩し、潰すように投げる(受身が取れる程度に投げている)
・身体運用の精度も強度も劇的に高まる
・次の瞬間は何が起こるかわからない1瞬1瞬の選択
・暴力はダメだでなく、そういう側面もあるというところからスタート
・手を取られるのではない「取らせる」…「与え導く:西尾」
・同じことを繰り返す人は、言い逃れる、、、理解できない、繰り返す
・とことん理詰めで考える
・ピークシフトなら、TV、エアコンを消すということにはならないのが今の世の中
・国民の健康より金が大事
・各国の共同幻想アメリカンドリーム、高度成長期:日本、共産主義幻想:中国
・妥協の産物としての太極拳の体育化24式、、、柔道、剣道も?少林寺も?
・なまじ通じると「ああ、それ知ってる」となる、謙虚に受け入れることの重要性
・実力はごまかせない「一度持っているものを全部出そうよ、そして★本質へ」
・学校体育と異なる価値基準で劇的に変化する身体能力、気長に待つ
・新陰流の柳生宗のり「能楽、兵法家伝書」
・弟子には通じる、枠を超えた実用性

第三章 達人はフレームワークを信じない
武術は想定内のフレームをつくると後れをとる/自分のわがままの通用しない状況がスタート/武は時の外にある
無時間という領域/随所に主となれば立処皆真なり/強さへの嗅覚/ボーダーラインに対する感性/人物を見る目の劣化/
善悪を二元論で分けることの危険性/闘争社会における距離感/精霊が棲む自然観/諸刃にならなかった日本刀の精神性/
刀剣を媒介にして、自然界とつながる/判断してから動いたのではもう間に合わない/最終的に問われるのは自身がどこまで覚悟しているかということ
・思想的な「道」から実用的な「術」を中心とする**を創始
 拳銃もナイフもアリと考えて、枠組みを外す
・その時にそこにいる、位をトル「機でもあり間でもある」
・状況に併せつつ、自分も保ちつつ、向こうも保つと心地よい
・覚悟の無い虚勢にはリスペクトが生じない
・都市には必ず暗部がある、システムがあれば除外もある「ボーダーライン」を嗅ぎ分ける力が弱っている
・ある意味すごくスピリチュアル弱いとリスペクトされない、やる時はやるそんな人が説くから意味がある
・生活の観点からだと諸刃の刃物は無い、対人殺傷になった時初めて諸刃になる、、
 日本刀の特異性「和」、刀剣観、神性、、刀を媒介して人間が自然力と繋がっていく発想は日本独特
サモアン:サメを殴る、躊躇が無い、人間に似た野生動物、闘争心に反応

第四章 荒天を進む覚悟
争いを調停する島の文化/自分がいちばん嫌いなヤツと仲良くなること/意拳における自然とは何か/覚悟を稽古する/簡単な話に気をつけろ/
「頭で作った感情」が跋扈する日本/内なる暴力性を丁寧に扱うこと/新しく生まれ来るもの
・同化、同期する稽古の理解、自分の流れに持ってくる「合気にかかる」
・相手を侮らない躊躇の無さ岡田以蔵:躊躇なく斬る
・狭い範囲の内で遺恨を残さないでも言うことは言うこれが必要
・同化「お母さんお元気ですか?」「元気かい?」、太腿でナイフを刺させておいて取り押さえる に通じるもの
・日本人が今共有しているのは怒り「怒ると得をする:併せて怒る」…そして収める
・内なる暴力性を制御ししかしギリギリまで持っていけるように訓練する

★おわりに きれい事では済まない状況を如何にきれいに解決できるか★武徳★ 光岡英稔
★それぞれのバックボーンへの安易ではない回帰

以上